はだかだからからだ。

秋田に僕はいます。

狸に化かされ、狐につままれ。

 

 今年の5月半ば。

親戚の代掻きの作業を終えて

親戚の家に向かうと

家の前で、何やら騒がしくしていた。

 

近づいてみると

「たぬき、たぬき!」

と、こちらに向かって親戚が叫んでいた。

親戚が手に持つガラケーの先を見てみると

たぬきがいた。

 

親戚の家が

敷地内にたぬきがフンをしていく事に

悩まされていたのを知っていたので

自分がたぬきを見た時に驚く事はななかったが

そこら辺で見かける、猫や鳥や犬とは違った

生物との距離感を感じた。

 

夜、車で走っていると

たぬきやきつねが

道路の真ん中や道路脇の草むらで

車のライトに照らされた

両目をこちらに向ける。

車に乗っている時

たぬきやきつねとの距離感は

猫や鳥や犬と変わらないような気がする。

 

しばらく見ていると

たぬきはトコトコと歩いて行き

たまにこちらを振り返りながら

側溝へと飛んでいき、見えなくなった。

 

 

春になって雪が溶けると

家の周りにある、水道のホースや縄が

別の場所へ移動しているらしい。

たぬきなのか他の動物なのかわからないが

悪戯か、巣作りのためか

持って行っているそうだ。

「昔は、たぬきに化かされたって言ってたらしいけど

こうやって、隣の家からホースとかが出てきたりすると

昔の人が言ってた事って本当だったんだって思うの」

と、たぬきがいなくなった後、親戚が話してくれた。

 

昔話にはよく、たぬきやきつねが登場する。

昔はもっと山と人の距離が近くにあって

たぬきやきつねなどの動物との距離感が

近かったのだろうか。

 

昔の人はどのくらい、化かされていたのだろうか。

今は、人同士が化かしあっている感じだろうか。

もしくは、本当は人が人へ化かしていたことを

たぬきのせいにしていたのかもしれない。

 

時代は繰り返すというけれど

実体験を元に昔の言葉が

真実味を帯びる体験をするのは

貴重なことかもしれない。

 

今度、たぬきがどんな化かしをしてくるかは

次の春に雪が溶けるまでわからない。

 

 

 

 

 

ちょうど、一年ぶり位に会った人から

「最近、文章書いてないじゃん

結構、面白かったのに」

と、言われて

そうですね、そうなんですよと話したので

久しぶりに文章を書いた。

 

仕事で文章を書く事はあったが

自分の事を文章で書くことを

最近していなかったので

久しぶりに書いたら

とても楽しかった。

 

最近、コロナになった。

色んな人に迷惑をかけてしまったが

療養が終わって、久しぶりに農業をしたら

グッタリと疲れてしまった。

農作業をしてこんなに疲れたことは

ほとんどなかったのだけど

もしかしたら普段からこんなに

疲れることをしていたのかもしれないと

久しぶりの湯船に浸かって思う。

 

自分の文章も久しぶりに書くと

グッタリとした感じになるが

とてもスッキリした気分になった。

今までたぬきに

化かされていたのかもしれない。

 

と、文章を書かなかった事を

たぬきのせいにして

文章を締めたからなのか

最初に書いた文章を手違いで全て削除してしまった。

その時は流石にたぬきに化かされたと

思ってしまった。

いや、狐につままれたのだろうか。

 

思い出しながら書いた文章は

なんだかグチャグチャしているような気もするが

実は最初の文章だって

そうでもないよという事を

たぬきときつねが教えてくれたのかもしれない。

 

狐と狸の化かし合いに

いつの間にか巻き込まれていたようだ。