はだかだからからだ。

秋田に僕はいます。

落としたから落し物。落としてから落し物。

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にしんとろろ冷そば

 

昨日、そばを食べた。

最近、とろろがかかっているものを

よく好んで食べる。

ある人にこのお店のにしんそばが美味しいと

聞いたので食べた。

にしんと認識して今まで魚を食べた事がなく

このにしんがどれほど美味しいのか

あまり分からなかったけど、美味しかった。

ただ、わさびは欠かせなかった。

 

 

 

 

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先日、落し物を1日に2回拾った。

 

正確にはモノを落としたのに

落とした事に気づかない人に

その落し物を拾って渡した。

 

落し物をした2人は

動きながら何かを探そうとしていた。

 

動きながらバッグの中や

手持ちの中を探していた。

 

その光景を眺めていたら

何かが僕の目の前で落ちた。

 

その2人にとっては無意識に落ちた。

 

2つ無ければいけない内の

1つが落ちたり。

 

落とし場所やそのモノ自体が

落ちた事を気づきにくくさせるものだった。

 

これは、その人にとっていらないものを

無意識下で取捨選択させるため

必然的に起こっているのだろうか!?

 

 

まぁ、そんなことはないと思うけど。

 

両者とも止まりながら

探せばよかったのではないだろうか。

 

止まる事で、動きは丁寧になり

焦りも生まれない。

 

見落とすこともなくなる。

 

立ち止まると落としたこともわかる。

 

もしそれでも進みたいのなら

後ろ向きで歩きながら探せば

落とした事もわかるんじゃない?

みたいな考えが頭に浮かんでしまった。

てやんでぃ。

 

前を向いて立ち止まるって

意外と難しのかもしれない。

 

かすかな音を聞くために

時には立ち止まる事も大切。

 

かけがえのないものを

落としているかもしれない。

 

それは、忘れた頃に

欲しくなったりするものだったり。

 

その落し物は、そこに置き去りのまま。

思い出と一緒に、落とされたまま。

 

誰かに見つけられるのを

待っているのか。

 

あなたに思い出されるのを

待っているのか。

 

手遅れなのは

落としたものを

他人が密かに隠し持っている

みたいな時なのかな。

 

いつも身軽に見える人は

よく落し物をする人なのかもしれない。

 

よく立ち止まっている人は

いつも確認をする人なのかな。

 

 

 

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落し物は赤い手袋と百円玉でした。

片っぽうには落し物です

と言ったらひどく驚かれ

もう片っぽうには

ひどくお礼を言われた。

 

代わり映えのない

ありきたりな日常に

落し物が現れたそんな日でした。