はだかだからからだ。

秋田に僕はいます。

トイレに書いてある文章は見ちゃうタイプの人です。

 去年の暮れに入院していた時

全身麻酔をして、手術をした。

 

全身麻酔は20年位、生きてきて

今回で2度目だった。

 

初めての時、麻酔が切れた日の夜に

とんでもない倦怠感が襲ってきて

楽にしてくれとか、死にたいとか思ったのを

覚えている。小学生だった。

 

 

今回は、どうなんだろうと

内心ハラハラしながら、手術台の上に乗り

過去の記憶と照らし合わせながら

麻酔にかけられていった。

 

ただ、今回の麻酔のかけ方は

小学生の頃と違って、ちょっと覚えている。

今回は、眠りかけの時に口に管を入れられた。

 

正直、痛かったです。

術後も、少し痛かった。

痛かったな、のど。

ちょっと腫れたし。

 

麻酔が切れて、ベッドの上で

目を覚ましたのは術後、2時間後くらい。

 

今回は、倦怠感の代わりに

痛みがあった。

 

術後の体勢が悪かったのか。

それとも、そういうものなのか。

 

痛かったので、体勢を変えてもらおうと

看護師さんを呼ぼうとした。

 

ナースコールを麻酔が切れている左手で

必死に探したが見当たらず。

 

この時、とても痛かった。

 

しょうがなく、大声で

看護師さんを呼んだ。

「すみませーん!」

「痛いですー!」

「助けてくださーい!」

 

これほど助けを叫んだことは

今までなかったくらいに叫びました。

のども痛かったし。

 

もう、どうしようか

このまま朝を迎えるのか

でも、時間はまだ午後の5時。

 

そのあとも、こまめに叫んでいたら

看護師さんが

「何か叫んでた?」と気づいてやってきてくれました。

 

僕がいた、病室はナースルームの

すぐ裏にある集中治療室みたいなところでした。

 

看護師さんたちが作業する音がうるさくないように

防音対策がされているのかなと。

そして、こっちの音も同じく

聞こえないようになっているんだと

気づけました。

 

 

看護師さんたちが何人か来てくださり

僕は右腕の下にタオルが敷いてあると思い

それを外してくださいと言ったら

タオルは敷いていないよと言われ

まだ、右腕の麻酔がしっかり切れていないから

変な感覚が残って窮屈なのかもしれないと言われ

そのあとは痛み止めをもらい、しのぎました。

 

少し寝た後に、看護師さんがきて

「トイレに行っても

いい時間になったから

車椅子で行きますか?」と言われ

やっと動けるようになった体で

車椅子に体をあずけ

用を足しに行きました。

 

さすがにトイレは自力でできたので

自らで自らの体を使い、用を足しました。

 

その時、ふと目に止まったのが

便座に座って、目線のちょうど先にある

 

 

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 この言葉と猫の写真。

 

直感的にそうだよなと思った。

 

これを見てからは退院して

絶対に映画館に行って

でっかいサイズのコーラと

でっかいポップコーンを

食べようと思いました。

 

そしてそれを糧に、入院生活とこの痛みを

乗り越えようと思いました。

 

水野敬也さんのLOVE理論はとても好きな本で

時々言葉が心をかすめます。

 

まさか、こんなところで助けられるとは

思いませんでした。

 

 

人生のお楽しみはこれからだ!

 

 

 

 

 

 

そして、すぐに入院していた病院が

インフルエンザパニックになり

僕は大部屋の角部屋に1人隔離され

残りの入院生活をラジオを聴きながら

過ごしました。

 

誰もこない病室で

星野源オールナイトニッポンを聴き

たまに瀬戸弘司を観て

もう、だいぶ慣れた左手での食事を

自分でも無意識に食べ終え

消灯が過ぎて静かになった病院と一緒に寝て

またみんなと朝の6時に寒くない朝を迎えて

また1日を過ごす。

 

たまにあの時のような眠り方をしても

あの時のような朝の迎え方は

できないなと不思議に思う。

 

睡眠の入り口は同じにできるけど

出口がちょっと手強い手強い。

 

あの時の朝は、とても心地よかった。

 

 

 

眠りの出口は1日の入り口。

1日の出口は眠りの入り口。

 

 

 

どっちの出入り口も

気持ちよく出入りしたいな。