はだかだからからだ。

秋田に僕はいます。

センス・オブ・ワンダーを感じた日。

 

先日、五城目町へ久しぶりに訪れた。

 

十文字町のカモシバさんのお手伝いで

朝早くから、訪れた。

 

丁度、その日は朝市があり

久しぶりの方も、一年ぶりの方も

初めましての方ともお会いできた。

 

お手伝いに来たイベントは

午前から行い

午後の3時くらいで終わった。

 

終わりに近づくにつれ

少しずつ撤収の作業を行なっていた。

 

 

このイベントにお客で来ていた

小さな男の子がいた。

イベント中、少しだけお話ししてくれて

少し仲良くなれた気がしていた男の子。

 

自分の車にクーラーボックスを入れていた時

その男の子が

「ここに乗っていい?」と

クーラーボックスが置いてある

車の後ろの荷台に足をかけながら

話しかけてきた。

 

その子は足全体を

ガッチリ固定するタイプの

サンダルを履いていて

そのまま荷台に上がろうとしたので

思わず

「土足では上がらないでね

サンダル脱いでから上がってね」

と言った。

 

そしたらその子が

「なんで?だってクーラーボックスは

土足で上がってるじゃん」

そう言われて、僕は驚いた。

 

これがたまに聞く、子供の「なんで?」かと。

この子はしっかりクーラーボックスが

地面に一度置かれていた所を

見ていたんだろうな。

そして納得した。そうだよなーと。

 

なんと答えてよいかわからず

汚くなっちゃうかもしれないからとか

どうにかこうにか、了承を得て

サンダルを脱いで上がってもらった。

 

その後もしばらく

なんて答えるべきだったんだろうと

考えていた。

 

その日の夜に

自分の兄に、この話をした。

2人で悩んでも

うまく見つからなかった。

 

その兄がヒントになるような

本を貸してくれた。

センス・オブ・ワンダー

という本だ。

レイチェル・カーソンさんという

自分はまだ読んだことがないが

沈黙の春」を書いた方の

最後の作品だ。

 

この本を貸してくれたのは

兄が「ブルーピリオド」という

漫画の中に出てくるセリフに

目が止まったという話から

このセンスオブワンダーの

ある一文が似たような表現をしていた

と言っていて気になったので

貸してもらっていた。

 

そして兄が言っていた

ある一文までたどり着いた。

 

「「知る」ことは「感じる」ことの

半分も重要ではない」

 

その文章を読んで

頭の片隅に置いて置いたら

仕事の帰り道、車の中で

あの男の子への

こんな答えだったら

よかったんじゃないかなという

言葉が出てきた。

 

それは「土足」と言わずに

「裸足」と言えば

よかったんじゃないかなと。

 

「土足」って言葉の響きや

イメージがそんなにいいものではないなと

前々から思っていた。

 

僕らは「知っている」から

車の荷台に靴を履いたまま

上がったりはしない。

 

でもあの子は「知らない」からこそ

クーラーボックスを自分と対等に見て

自分と同じ土足なんじゃないかと

訴えてくれた。

クーラーボックスが

土足で上がってるなら

僕も土足で上がると。

 

でも、クーラーボックスは

裸足でもあるんだと僕は気がついた。

 

あの男の子は「感じた」ままに話してくれた。

「土足」って響きが

あの子もあまり気に入らなかったのかもしれない。

 

対等にクーラーボックスを見ているから

クーラーボックスが乗っている荷台に

一緒に土足で乗ろうとしたのかもしれない。

 

だから、僕からの「土足で上がらないで」という言葉は

クーラーボックスとその子を違う状態にさせてしまう

意味になってしまうのだ。

土足で上がらないでって言葉は

僕らが思うよりずっとその子にとっては

辛い一言だったのかもしれない。

 

 

だから、僕があの時

なんで?と言われた時

土足と言わずに

あの子とクーラーボックスを

仲間ハズレにさせないで

「裸足になって上がってね

クーラーボックスも裸足で

上がってくれてるから」

と言えばよかったのかもしれない。

 

そう言えば土足で上がらないでって

言われるの、僕好きじゃなかったな。

自分の小さい頃のことを

すっかり忘れてしまっていた。

あの頃、僕は「感じて」いたのだろう。

 

 

自分の知っている事を

子供に教えようと

してしまったり

する時がある。

 

それは少し違うんだと思う。

 

子供になんでを聞かれた時は

「知っている」事を教えるのではなく

こんな視点もあるよとか

仲間ハズレにさせないってことの方が

重要なんだろうな。

そして子供と一緒に

「感じる」ことが何よりも大事。

 

 

あの子のおかげで

「感じる」という感覚が思い出された気がする。

 

 

 

また、いつか会えたら。

そしてこの本を教えてくれた兄に感謝。

 

 

 

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