はだかだからからだ。

秋田に僕はいます。

みつけもの。

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 映画「天気の子」を見たのは
2019年の夏。

 

映画の主人公が冒頭
手に持っていた本を注視していたが
最後までどんな本を持っていたか
わからなかった。

 

観終わった後
ツイッターで落合陽一さんが
ライ麦畑と天気の子について
書いているnoteの記事を見つけた。
その時
天気の子の主人公が持っていたのが
村上春樹
キャッチャー・イン・ザ・ライ
という事がわかった。
その本の野崎孝
ライ麦畑でつかまえて」は
題名のみ聞いたことのある本だったが
内容は何もわからなかった。

 

その後ブックオフ
野崎孝訳「ライ麦畑でつかまえて」を
見つけて購入した。

 

そして、高桑書店で
村上春樹
キャッチャー・イン・ザ・ライ
を購入した。

 

映画の影響なのか
書店の目立つところに
その本は置かれていた。

 

購入してから気づいたのだが
ライ麦畑の方の最初のページに
四葉のクローバーが
押し花のようにそこに挟まっていた。

 

ブックオフの本は
こういった不思議なものが
入っていたりするので面白い。
誰かの暑中見舞いが挟まっていたり
サイン本だったりする時がある。

 

この四つ葉のクローバーを
見て思い出すことがある。
この枯れたクローバーを見て。

 

小学生の頃ある女の子から
登校してくる際に拾って来たという
四葉のクローバーをもらった。

 

子供の頃は
今思うと不思議なくらいに
四葉のクローバーを
見つけるのがみんな上手だった。

 

だからもらったりすることが
よくあったような気もするが
なぜかその時もらった
クローバーを捨てれずに
中学生くらいまで
箱に入れたりして
持っていた。

 

記憶で覚えているのは
中学生の学生証の裏に入れて
この本に挟まっていた
クローバーのように
なっていたと思う。

 

学生証の裏に入れていたが
何かのはずみでちぎれたか
ボロボロになって
最後は捨てたのかもしれない。
だけど、こういった誰かが
挟んだもので
自分の捨てたものの記憶が
蘇ったりする。
ものは捨てても、消えても
記憶は残っているのだ。

 

 

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先日、48年間秋田市
茶店を営んでいるところへ
椅子を引き取りに行った。

 

僕はこの店に客としては
たった2回しか来れなかった。
その2回目の時
一緒に行ってくれた方の縁で
椅子を引き取れる事になった。

 

開店からずっとある椅子。
この椅子に揺られながら
いろんな人が思い出を
作ったのだろう。
僕がロッキングチェアに座ったのは
この店が初めてだった。

 

軽トラの荷台に積んだ
この椅子を出そうとした時
椅子の裏に何かがついていて
取ろうとしたが取れなかった。

 

よく見るとそれはガムだった。
座った時の右側のお尻の
下の方についていたので
右利きの人がつけたんだろうかと
思った。

特に嫌な気持ちには
ならなかった。
なん年前から
ここに着いているのだろうと
そう思った。
そして思い出していた。
固まったガムについて。

 

近所に仲の良かった
同級生がいた。

 

その子の家に小学生の頃
よくゲームやら何やらで
遊びに行った。

 

なんでそうなったかは
覚えていないが
その子の家の
物置みたいな部屋の隅に
ガムを僕は吐き捨てた。

 

多分、近所の駄菓子屋に
置いてあった当たり付きの
ガムだったような気がする。

 

そのガムは

取れないところに落ちて
友達同士?で
いつしかその吐き捨てられたガムは
突如現れたバンクシーの絵のように
あれがあのガムだ!みたいな
自分達の宝物になっていた
ような気がする。
どうだったかな。

 

何年かたっても
ガムはずっとそこにいた。
中学の時にも
見に行っただろうか?
あの部屋は
確か改築されたとか行ったから
もうあのガムはないだろう。

 

ガムが何かについていると
嫌な気持ちになる人は
多いだろう。
靴の裏や髪について
ベタベタになったり。
いつのまにか
車の中についていて
固まってしまってたり。

 

まあ、ベタッとついたら嫌なんだけど
僕はガムを
捨てられたガムを見ると
その時一緒に
この小さい頃の記憶が蘇る。
そうすると
なんでそんな事を
したのだろうと
思い出して可笑しくなって
少しだけ心の中で笑う。

 

人によっては
本の中に葉っぱが
挟まっていて
嫌な気持ちになる人も
いるだろう。
椅子の裏に
他人の着けたガムがあって
それがどれくらい
の期間ついていたのかで
嫌な気持ちも変わるだろう。

 

この二つに関しては
僕は嫌ではなかった。
どちらにも
思い出が繋がったからだろう。

 

自分が
本屋の店員や
茶店の店主だったら
嫌になっていたのだろうか。
わからない。

 

日常で
嫌な気持ちになることは
多かれ少なかれある。

 

その時、嫌な気持ちから
自分が何かクスッとなる
救われるような気持ちに
なれたらいいな、と思う。

 

だから
もし自分が大切な誰かに
本に葉っぱが入っていて
嫌な気持ちになったや
椅子の裏にガムがついてあって
嫌な気持ちになったと
言われたらこの話をしたい。
クスッとしてくれるかは
わからないが。

 

.

嫌な気持ちになった出来事を
誰か大切な人とお互い話して
クスッとしたい。
バカ笑いじゃなくて
クスッとでいい。

 

 

 

そして、いつか思い出したい。