はだかだからからだ。

秋田に僕はいます。

ばっちゃん。

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祖母の葬式が明後日に控えている。

 

ここ数日の出来事

その時その時に感じたこと。

祖母のことを僕は

ばっちゃんというのだが

ばっちゃんとの思い出なんかを

書き連ねようと文字を起こしていたが

 

なんだか進まない。

 

僕の働いている職場や他の職場にできれば

自分の祖母が亡くなったことを

言わないでほしいと上司に言った。

なんでそんなことを思うのかと

親戚にも兄弟にも親にもそう言われた。

自分でもよく分からない。

いつからだったのか

そういった感情にたまになる。

 

親族が亡くなった時

特別休暇というものや

会社から家にお金が入るそうだ。

 

それもなんでかわからないけど

遠慮した。

だが、会社は特別休暇も

お金も準備していた。

会社ってそういうものらしい。

みんながそう教えてくれた。

みんなってのは親族や家族だ。

今日、早めに自分が会社を特別休暇で帰った後

職場や他の地域にある職場に

僕の祖母が亡くなったということと

葬儀がいつかなどの日程が書かれた

文書が流れたらしい。

それは仕方がないことだ。

会社ってそういうものらしい。

文書は自分の家の葬儀を

行ってくれる葬儀会社が

自分の職場や会社の本部に

送ってくださったらしい。

自分の会社が電報を

送ってくださったからだと思う。

 

僕の感情は何を意味しているのか

僕以外は通常運転のように

会社は会社のように

親族や家族は親族や家族のように

正しく行動している。

自分は止まってしまう。

 

少し、祖母が生きていた

前日の話を書いてみる。

 

祖母の入院していた病院の個室。

その隣では新生児や未熟児が

入っている部屋があった。

 

僕は最初その部屋が

なんなのかわからなかった。

 

僕の兄弟がいとこに言われたらしい。

「今、ばあちゃんが懸命に生きようとしている。

年齢もだんだんと進み寿命も後、短いのかもしれない。

だけど、今、懸命に生きようとしている。

その一方で隣では新生児や未熟児の子供達が

今、懸命に生きようとしている。

この二つは今生まれた命と

寿命を終えようとしている命。

でも、どちらも

今を生きようとしているんだよね。必死で。

その二つが隣同士なのは何かを感じるよね。」

 

僕が実際に聞いたわけでも

兄弟から聞いた話を

一言一句覚えてもいないから

言葉は違うけど

自分は何かを感じた。

 

今、自分も知らず知らずに

生きようとしている。

知らず知らずに

生かされている。

 

今、自分が生きていることを

生かされていることを

この二つの命から

教えてもらえ、知ることができたのかな。

 

なんだか難しいなぁ。

難しいことは

ばっちゃんに聞こう。

 

ばっちゃんとは

小さい頃よく一緒に寝たな。

 

今日は最後に一緒に寝れる日だから

一緒の部屋で寝よう。

夢で逢えたら色々謝って

色々話そう。

 

小さい頃、ばっちゃんが亡くなったら

焼かないでそのまま一緒に寝てるって

僕が言ってそのことをばっちゃんは

最近まで覚えててたまに

思い出したように言ってきたけど

なんだか怪しい事件になりそうだから

それはやめとくよ。

その代わり、今日は久々に

一緒に寝よう。

金縛りとかはやめておくれよ。