はだかだからからだ。

秋田に僕はいます。

60%の水。

になりたい。

 


そこらへんにある

水になりたいわけではなく

身体が水になりたい。

 


誰か

もしくは特定の誰かと

ハグをする時に感じる。

身体と身体の隙間に出来る感覚に

僕は物足りなさを覚える。

 


だから、身体が水ならば

その隙間の境目が溶け合って消え

物足りなさが無くなるのではと

いつも思う。

 


前に、友人がおすすめしてくれて観た

「シェイプオブウォーター」という

映画の劇中で主人公たちが

水中の中で抱き合うシーンがある。

それを観た時

身体の隙間が溶け合って

消えているように見えた。

 


僕の感覚が

水になることはないけれど

近づく事は出来るのかもしれないと

その映像を見て、思う。

 

 

 

かといって

本当に水になった時

今度は隙間が

欲しくなるのかもしれない。

 


人間の体は60%が水。

 


例えば全員が水の身体で

誰とでも溶け合っていたら

隙間が境目が、欲しいと思うだろう。

 


だから、その60%を大切な人とだけ

共有する為に身体があると考えると

もう自分は水なのかもしれない。

 


物足りなさを感じる

40%の身体に阻まれた先に

60%の水の身体がある。

 

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