はだかだからからだ。

秋田に僕はいます。

ハイスピードコミュニケーション。

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山形の南陽PAに停まった。

コンビニで購入して

車中飲み干したコーヒーのカップを捨てようと

車から持ってPAのゴミ箱に捨てようとした時

中から出てきた女性の清掃員の方が

「ゴミ?貰うよ!」と自然に声をかけてくれ

僕はすみませんと言って手渡し

そのままトイレに入っていった。

 


トイレの中はとても綺麗に清掃されていて

壁には季節に合わせた折り紙が

沢山貼られており

そのどれもがうるさく感じず

それは季節ごとに

こまめに張り替えれられて

いるからなのだろうかとか

一歩前へなどの相手への

メッセージがなかったからなのだろうか。

子供用の個室トイレ内にも

目線の高さに合わせた位置に

かわいい折り紙が貼られていた。

 


手を洗って外へ出ようとすると

清掃状況を書くボードに

かわいい絵と沢山の文字が。

清掃状況だけでなく

最近の清掃員の状況も書かれている。

もう、ボードに書き始めて

1年が経つらしい。

ここ南陽の上下のPAの利用者と

感謝の手紙のやりとりをしているらしい。

 

通り過ぎてしまう場所でもあるPA

その中で行われている、感謝のやりとり。

通り過ぎてしまう場所は

日常生活でもたくさんある。

その生活の中に感謝のやりとりがあると

通り過ぎずてしまっている地域というものと

しっかりと繋がれるのかもしれない。


他にもここ南陽についてを

手書きで書いていて

南陽のぶどう狩りの宣伝などをしていた。

 


一緒に来ていた人が

同じくコーヒーカップ

捨てようとしていたら

ゴミ箱がないらしい。

あれ?と思ったら

ここはペットボトルと缶を

捨てる場所はあるが

それ以外のゴミ箱がなかった。

 


僕がさっき清掃の女性の方に

渡した事を告げると

同じように清掃の方が

もらってくれたそうだ。

 


変な言い方になるが

ここはゴミ箱がない。

代わりに人がゴミ箱になっている。

誰も見ていないゴミ箱なら

なんでも捨ててしまうかもしれないが

人がそのゴミを受け取る場合だと

なんでもは捨てようとしないだろう。

でも、実際ゴミは最後人の手で処理されるから、最初誰にも見られていないだけで、誰かが見つける。

 


ここを出る時に

噛み終えたガムを包むための

包装紙を駐車場の上に

落としてしまった。

それを拾おうとした時

いつもなら落ちたから拾う。

という意識だけでなく

あの清掃員の人たちが

拾わなくてもいいように。

というような考えが頭にあった。

綺麗に清掃されているトイレや

手書きのイラストや文章

手作りの折り紙を見て

そしてゴミを貰ってくれたから

そう感じたのだろうか。

 


ゴミ箱がないから

ゴミを持っている人がいたら

ゴミを貰うよと話しかける

キッカケになる。

小さなPAだからできる事なのだろうか。

上下で共通してできているんだろうけど

とてもすごい事なのだと思う。

 


一緒に来ていた人が

「ネットでも話題になってるんじゃない?」

と言ったので調べてみた。

 


そうすると

他の人も同じように

ここの清掃員の方について

投稿していた。

手書きのイラストの事。

小さな黒板があって

季節のことが描かれていて

適宜描き直しているのだと思うから

粋だなと思う。など

 


なかには自販機しか置いてない事に

少し文句を言っている方もいるが

僕はこれがいいなぁと思ってしまった。

 


高速道路が通ることで

自分たちの住んでる町が

立ち寄られなくなり

通過されるだけになってしまう

という事を聞いたことがある。

 


そう言った事に対して

マイナスに考えるのではなく

プラスに楽しくなるように

考えてみるのも大事なのかもしれない。

僕はそういった事を

山形の人に教えて貰っているし

こうして楽しくやっている人たちの

場所を見て、思う。

 


またこの道を通るとき

僕はこのPAに停まりたい。