はだかだからからだ。

秋田に僕はいます。

光は闇の中でかがやいている。

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2年前の12月、大きな交通事故を起こした。
その事故は僕が100パーセント悪い。

その時、自分の鎖骨を骨折した。

先日、鎖骨の骨折を治すために入れていた
プレートとボルトを
もう取ってもいいという事で
取る手術をした。

2年前と同じように、鎖骨の部分の皮膚に
一直線に伸びた、手術痕ができた。

鏡に映る、その傷跡を見て
思い出すのは、名前を知らない1人の男性。

その男性は外国の方だった。

2年前、手術が無事に終わり早期の退院。
自宅療養をしたのち、職場復帰。
体の調子も戻ってきた3月末。
5Wの服を着て
ChouChouという横手市の美容室に
初めて行った。

その時、髪を切ってくれた方と
温泉の話をした。
美容師の仕事柄、若い頃は
知り合いと予定が合わなく
よく温泉に行っていたという。

僕も温泉が好きだったので
おすすめを教えてもらった。
「横手だったら鶴ヶ池荘かな」
僕は髪を切りに行った日は
温泉に行くようにしている。
その温泉は知っていたけれど
行った記憶がなかったので
今日はそこに行こうと決めた。

体を洗って、何か所かある温泉の
ぬるま湯の中に浸かった。
その湯には僕より先に
外国の方が入っていた。

入ってすぐに、その外国の方から
僕のまだ目立つ傷跡を指差され
「どうしたの?」と聞かれた。

僕は車を運転する仕草をして
交通事故で、骨折したと言った。

「それは大変だったね」
「その事故は自分だけでやったの?
それとも相手がいた事故?」
「相手がいた事故で僕が悪い」
そう言ったら、こんな話をしてもらった。

「ラッキーだとか幸運だとか
思っていけない。」
「ただただ、感謝をする事。」
「親に。大切な人に。あなたの周りの人に。
感謝を、それを忘れないで。」

僕を真っ直ぐ見て、話してくれた。
あまりにも唐突な出来事だった。
多くの事を話してくれた。
僕は聞くことしかできなかった。

話始めてどれくらい経ったのかわからない。
先にあがるねと言ってその人は湯から出た。

それから僕は考えた。
どういう事なのだろうかと。
そのまま、ぬるま湯の中に入りながら。
そして、2年経った今でも。 

僕は最近、沢山の大切な人を車に乗せる。
その大切な一人との会話で
運がいいという話になった。
「私は本当に運が良かった」
「運だけでどうにかこれた」

その会話の途中
2年前の外国の方との会話を
思い出していた。

そして思った。
ラッキーだとか幸運だとか
運が良かったという言葉や感情は
自分しか登場しない。


自分はラッキーだった。
自分は幸運だ。
自分は運が良かった。


その反面
感謝は相手に対してする事だ。

僕も交通事故にあって
事故の写真を見て
運が良かったと思っていた。
お互いの車は廃車だった。
自分は骨折と頬の裂傷で済んだ。
相手には大きな怪我がなかった。

全て自分で考えていた。

相手は事故のショックですぐに
動けないはずなのに、僕の所へ
大丈夫ですかと駆けつけてくれた。
近くに住んでいる人が
寒いだろうと毛布を持ってきてくれた。
僕の事故で、多くの人を困らせてしまった。
その道を通って通勤する人
救急隊員の方や、車のレッカー
病院の医療者、職場の人
家族、自分の大切な人。

運が良かったという
自分だけでは片付けてはいけない
多くのことが一瞬で起こった。

その人たち一人ひとりに
感謝をする事を、あの外国の方は
教えてくれたんだろう。
それは僕がその人達から
もらっているから。

運が良かったは誰もいなくさせてしまう。
誰かがいて、その人から何かをもらう事を
運が良かったで済ませてはいけないんだろう。
自分がもらったのなら感謝をすること。
それはもらったひとにでなくても
大切な人や周りの人に。

 

どうしても
運がいいとか、運が良かったという言葉は
使ってしまうことが多い。
そこから気づくことが大事なんだろう。
僕らは誰かから貰っていることに。
生きているだけで貰っている。
だから、感謝を伝える事を
忘れないようにしたい。

病気にかからないで運が良かったのではなく
その影で、沢山の人に自分の時間を
与えている人がいる。
それを忘れてしまうと
大変なことになるんじゃないかな。

2年かかって、あの時話された言葉に
ようやく気づくことができたかもしれない。
遅いか早いかではなく
運が良かったとおもうのか
感謝を伝えれるか
どちらを選ぶのかが大事なんだろう。

考えさせてくれた、外国の人にありがとう。
気づかせてくれた、大切な人にありがとう。