はだかだからからだ。

秋田に僕はいます。

水を飲んでも飲まれるな。

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 今年の8月、10年振りに

プールに行った。

 

多分、10年くらい

大きい水の中に入った事がなかった。

 

海なんてもっと入っていないです。

海に入った記憶は15年前くらいかな。

 

 

 

今年の夏が蒸し暑かったので

プールに入りたいという感情が

僕の中に湧き上がりました。

 

友達がたまたま家にいたので

その子を誘って行こうと思ったら

「行かない、行かない。」

と断られ。

家族にも

「やめときな、やめときな。」

と言われ、あれこれ言っていたら

時間がなくなり、その日は行きませんでした。

 

 

また、別の日に

誰にも言わずに、プールに行きました。

 

プールは僕の住んでいる町の

温泉施設と合体しているので

そこに行きました。

 

まず、海パンがないので

町のスーパーに買いに行きました。

 

千円くらいで買えました。

濃紺の紳士海パンです。

 

 

意気揚々と施設に入り

温泉とプール両方に入れる券を

700円で買い、水泳キャップをレンタルして

意気揚々と更衣室に行きました。

 

更衣室に入り

水着の独特の生地感を懐かしく感じ

自分の頭には小さい

緑の水泳キャップを被り

「シャワーを浴びてから

入ってください」と書いてあって

そうだったそうだったと

懐かしく感じ

浴びた後、プールサイドに入りました。

 

 

小さい頃、いつも夏に入っていた

空の下のプールと違い

夜の8時の薄暗い

誰もいないプールは

小さい頃

見つけたら

すぐに隠した宝物のようで

1人だから味わえる感覚だなと思いました。

 

プールに軽くドボンと入ると

浮こうとする自分の体を水が

お風呂や温泉と違う

温度と質感で伝わってきて

その感覚に思わず

高揚してしまった自分の声が

そのまま、言葉にならない音で

出ていました。

 

楽しくなって

その場でクロールをしました。

 

10年ぶりのクロール。

左右の腕を交互に回し

左右の足を交互に上下させる。

 

 

一向に前に進まない。

 

どれほど水を掻いても

どれほど水をばちゃつかせても

体が前に進まない。

 

 

終いには体が沈んでいきました。

 

 

どうした、どうしたと

自分に問いただし

今度は壁を蹴って

反動をつけて泳ごうとしました。

 

壁を蹴りました。

 

 

 

沈んでいきました。

 

 

 

平泳ぎはどうだろうか。

 

 

 

沈んでいきました。

 

 

 

ビート板を使いました。

 

 

 

体だけが沈んでいきました。

 

 

 

 

 

僕は確信しました。

泳げない人になっていると。

 

イメトレでは

このプールにこれから

毎週のように通い

涼みながらダイエットでも

しようかなと思っていました。

 

泳げないとなると

飛び込み台にすら

立たせてもらえません。

 

プールの真ん中で

1人笑っていました。

大きな大きな声で

笑っていました。

 

僕、泳げない人だったんだと。

 

 

10年経って

体は変化しました。

身長も20㎝位伸びて

体重も30Kg位増えて

色々と変わっているんだなと

思います。

 

 

 

 

夏は水の事故が

毎年、テレビから

流れてきます。

 

おじいちゃんおばあちゃんの

住んでいる田舎に帰省した

子供達が川で流されたり。

 

高校生が、集団で川で遊んでいたら

いつのまにか深いところまで行っていて

気づいたら数十メートル流されていた。

 

溺れている人を

助けようとした人たちが

一緒に溺れてしまう。

 

 

 

どこか他人事でした。

川遊びもしたことがないし

田舎に行くという感覚がないので

田舎に行ったら川に入るという感覚が

そもそもない。

海にもいかない。

水と全く触れ合うことが

ここ10年ありませんでした。

でも、目の前で溺れている人がいたら

自分は真っ先に飛び込んで

助けようとするタイプです。

 

 

でも、僕は泳げない人でした。

 

10年前も

多分、泳げない人でした。

 

25メートル泳いでいただけで

自分は泳げると自信を持っていました。

 

今は数メートルも泳げません。

 

プールから上がって

縁に座っていたら

急に怖くなりました。

 

もし、この10年の間に

海に入ることになっていたら

川に遊びに行くことになっていたら

目の前で誰かが溺れていたら。

 

誰しもが

自分はできると思っていることが

多いような気がします。

私は泳げる。私は山を登れる。

私は車の運転が得意。

少しでもできるという感覚は

すぐに私はできるに変換されます。

それも何年たっても

その感覚は失われません。

やったことがなくても

できると思っていることが

多いんじゃないかな。

 

 

でも、それが間違いだったことを

確認できるのは確信できるのは

大体は当事者になった時や

結局できなかったみたいな

時にしかわかりません。

つまり本番みたいな時。

 

練習の時に自分ができないという事を

確信すれば、大事には至りません。

克服するか、対策を練れるからです。

 

でも、遊びみたいなものが多いです。

自分ができると

思っていることの多くは。

 

海に入る。川で遊ぶ。

山に登る。森に入る。

車で長距離を走る。

運動や何かの競技。

その他、諸々。

 

遊びの練習なんて

ほとんどする人は

いないと思います。

 

 

毎日やるもの以外で

季節の遊びみたいものは

大体が一年ぶりみたいなものです。

スキーや川で遊ぶや

バイクとかもそうじゃないかな。

一年ぶりの仕事とかもあるかも。

 

学生の頃、数日やらないだけで

運動ができない、勉強ができないが

若い時ですらありました。

 

なのに、若い時にやっていたから

昔はできたからと行って

数日どころか、一年どころか

何年も何十年も久しぶりに

やってしまったりします。

それが悪いわけではありません。

 

いつ何が起こるのか

何もわかりません。

 

 

毎日やることが大切です。

と言われるのは

その事柄に対しては

何が起こっても大丈夫みたいな

理由が含まれているかもしれません。

 

 

でも、それ以上に

自分ができない事を

知ることはとても大事だと

プールに入って思いました。

 

できない事がわかると

対策ができるからです。

 

もし、僕の目の前で

溺れている人がいたら

以前の僕は飛び込んで

いたかもしれませんが

それだったら、僕は死にます。

 

これからは

もし、溺れている人がいたら

全力で助けを呼ぶことと

僕のように飛び込もうとする人を

止めて二次被害を避ける事です。

 

ここで、泳げるように練習しようとは

思いませんでした。

 

 

 

誰かと2人でいると

遊びになりますが

1人でいると

考える時間が増えます。

 

遊ぶのは2人だけど

溺れる時は1人です。

 

 

 

色んな人が

遊びでも仕事でも

本番で失敗して

ある意味で命を落としたり

治らない傷を負ったり

消えない傷を持ったり

しいる感じがします。

 

その本番が

練習の先にあれば

対策を練ったり

克服したりできると

思いますが

 

 

練習がないような気がします。

 

 

泳いだことのない人に

海に入れと

プールに入れとでは

天と地ほどの差がある気がします。

でも、どちらにも

命の危険はあるはずです。

 

 

せっかくプールがあるのに

最初から海に入ったり。

 

泳ぎ方を海に入る前に

ある程度教えればいいのに

海に入っている状態で教えたり。

 

 

いっぱい傷ついている人

死んでしまっている人がいるのに

誰も気づかない気がします。

 

水の中で溺れていたら

声が出せません。

出そうと思って

水面に顔を出しても

息を吸えば

声を出すことができない。

 

海の流れが速かったから

川が深かったから

だから、流された。

 

本当は僕みたいに

何年ぶりかに

泳いでいるのかもしれない。

泳ぎ方を知らなかったのかもしれない。

 

そもそもその環境が

どういったところなのか

わからなかったのかもしれない。

そもそも泳げないところなのか

泳げるところなのか。

 

色んな意味で

自分の意思にも他人の感覚にも

流されてはいけないと思います。

自分のできるという自信にも

お前ならできるという

他人の感覚にも。

自分で考えるべきです。

 

 

 

想像力は大切で誰しもが

持つべきものだと思いました。

持つべきです。持って考え続けるべきです。

 

 

 

 

 

1人でプールに来たら

泳げない事を知って

温泉に入りながら考え

温泉から上がった後も

今もずっと考えていたそんなお話です。