はだかだからからだ。

秋田に僕はいます。

忘れものはなんですか。

 

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先日、家にあるマンガ類の整理を
兄弟三人で行った。
玄関から入って
すぐ目につくところに
大量の段ボールがあり
全部整理しようという事にした。

 

今、家には本棚というものが
あるにはあるがという状態で
ほとんどが段ボールの中にあった。

 

約2000冊のマンガが
家にあることがわかった。

 

兄達は「ウォー!!」や
「うわ」と言いながら
色々な感情とともに段ボールから
マンガを取り出していった。
整理の途中、つい読み始めてしまい
なかなか進まなかったりもしたが
どうにかこうにか出し終えた。

 

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そのあと今度はゲームの整理をした。
そしてマンガの時と同じように
色々な感情が渦巻いた結果
夜に64のゲームを兄弟三人でやった。


なぜかわからないが
小さい頃は無かった
3つ目のコントローラーがあって
初めて三人で64をやった。

 

マリオカートまではよかったが
スマブラになると状況は一変。
僕は何もできなかった。
このあとやったマリオパーティーでも
太刀打ちできなかった。

 

何年もやっていなくても
小さい頃に必死になって習得した事は
体と心が覚えているもので
ゲームでは負けるけど
心は楽しかった。

 

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冬に
ゴースト/ニューヨークの幻を見た。
小さい頃、テレビのロードショーで
よくやっていた気がする。
だけどよく覚えていない。

 

そういった事はとても多い。
映画の始まりと終わりだけ
覚えていたり
ある一つのシーンをとても鮮明に
覚えていたり。

 

大人になってから
あのシーンはこの映画だったのかと
思ったのがフォレストガンプだった。


劇中で主人公がずっと走り続けて
途中で疲れたから家に帰るシーン。
そのシーンをずっと覚えていたが
なんの映画だったのかを
十何年わからなかったが
そのシーンが流れた時
思わず声が出た。
段ボールから懐かしいマンガを
取り出した時のように。

 

そういえば小さい頃は
今よりもテレビで
日本の映画だけでなく
外国の映画が
よくロードショーで
やっていたのを思い出す。

 

それこそ
ゴーストやフォレスト・ガンプ
沢山の映画を
見ていたんだろうなと思う。


自分が選択したものを
今は見る時代だったりするが
あの頃テレビを見ていた人は
今よりも名作と呼ばれるものに
みんなが触れていたのだろうか。

 

昔はロードショーでやるから
映画を見に行かなくていいよ
と言っていたのが
Netflixamazonプライム
配信されるのを待とうという声に
変わってきたりしているのだろうか。

 

選択せずに見ていたからなのか
シーンを覚えている映画が昔は多い。
逆に今は選択をするようになって
題名を覚えているが
シーンをよく覚えていない映画が
自分の中で多くなった気もする。

 

ゴーストの中で
とても印象的なシーンがあった。
とても好きなシーンになった。

 

主人公が霊媒師の力を借りて
自分の彼女の家に
入ろうとするシーンだ。


主人公はゴーストになっているから
赤の他人である霊媒師は
部屋に入らせてもらえない
そこで主人公は
自分と彼女しか知らない
2人だけの思い出だったり
彼女の服のことや
2人で歌う歌のことを
霊媒師に言わせて
彼女に信用してもらい
部屋に入らせてもらう。

 

主人公が
次々と彼女との思い出を話すたびに
2人が作ってきた思い出が愛おしく
また今後その思い出が
更新されていかない事を
思うととても、悲しくなる。

 

もし自分がゴーストになった時
大切な人に気づいてもらうために
あれほど思い出を
語れるのだろうか。


自分の隣にいる人が
身につけているものがなんなのか
なぜその服が汚れているのかや
なぜその食べ物が好きなのか。


身につけてるものや
好きな食べ物を当てる事は
もしかしたら他人にだって
できるだろう。
でも、その理由まで知っているかと
言ったら難しい。


なぜ好きになったのか。
なぜそれを身につけているのか。
2人にしかわからない事を
2人だけでわかる事は
とても素晴らしい事なのだろう。

 

幼い頃に見たマンガや映画
やっていたゲーム。

 

自分では忘れている事が
ページをめくったり
再生ボタンを押したり
息を吹きかけてカセットを入れ
電源をつけたりすると
忘れていた年数分のあれやこれやと
一緒に思い出される。

 

昔の記憶を思い出すための媒体が
別にスマホの写真や
ビデオではない事を
兄達の段ボールから掘り起こす作業や
自分の何気無く目について
手に取ったレンタルDVDから
わかった気がする。


カードメモリに保存されることだけが
記録や記憶ではない事を
感じた気がする。

 

案外、忘れている事を
思い出すためにというより
忘れるために
モノは残しているのかもしれない。
だからたまに探したくなる。
忘れていた事を忘れているうちに。