はだかだからからだ。

秋田に僕はいます。

君のあだ名は。

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僕は特定のエリアの
特定の年齢層から
「たくあん」と呼ばれている。

 

僕の誕生日があった3月に
たくあんの誕生日会を
たくあんの名付け親の
家族が開いてくれた。

 

僕の誕生日会を
その家族の家で行い
名付け親である小学生と
その兄弟と一緒に
ケーキを食べることができた。

 

天皇の誕生日は国民の祝日
僕たちが休める事になってる。

まさに僕の誕生日で
この子たちが
ケーキを食べているのを見ると
天皇の気持ち?を少し?だけ
思うことができた。
天皇誕生日にケーキを
食べたことはないけれど。

 

人数の大小に関わらず
といっても、1ホールのケーキを
みんなの満足するぶんに
分けれるくらいの人数で
祝われるのは
何歳になっても嬉しい。

 

先日、久しぶりに
この家族の家へ訪ねた。

 

その時、事件は起こった。

 

僕が家に入るやいなや
名付け親の子が
「高橋くん来たの?」と
言ったのだ。

 

突如として訪れた
名前の呼び方の変更。
急に名前を呼ばれる
ヨソヨソしさ。
誕生日会から一ヶ月くらいしか
経っていなかった、、、。

 

だけど
貴重な心の成長を
見れた事でもある。

 

 

この前、自分の親戚の

家々を訪ね歩いた。
すっかり渡し忘れていた
お年玉を進学・進級祝いとして
持っていくためだ。

 

このコロナの影響や
僕の祖父母が2人とも
亡くなった事で
毎年、お盆の時期と正月の時期に
やっていた親戚の集まりが
無くなっていたので
約1年ぶりに会う親戚の子もいた。

 

誰かわからないくらいに
顔が大人びた子や
声がこんなに変わるものかと
思うくらい低くなった子や
みんなそれぞれ変わっていた。

もちろん歳が上の人は
歳上らしい、変化をしていた。

 

この閉塞した期間が終わって
再開した時に
お互いの成長や変化に気づきたい。

 

友人がこんなことを言ってくれた。
「大人が子供につけられるあだ名って、その子が好きなものだったりする。だから子供にあだ名をつけられたら、大切にしなきゃダメだよ。」
僕が(この時はたくあんの話では無く、他の子につけられたあだ名の話の時)
子供に下品なあだ名を
つけられたんだと話した時
そう言って叱ってくれた友人に
とても感謝している。

 

その子の成長だったり変化を
その時見てなかった。
高橋も拓也も
その子達にとっては
身近ではない言葉。
あだ名は大切にしたい。

 

僕のことを
あの子がたくあんと呼ぶので
その子の友達や周りも
たくあんと呼んでくれる。
子供に名前を呼ばれることは
嬉しい。

 

あだ名で呼ばれることは
小さい頃に比べると
とても減った。
小さい頃は
イヤミみたいな
あだ名もあっただろうけど
大人もそんなあだ名を
つけたりしてる。

 

高橋くん。これが
今、最も人に呼ばれる
あだ名みたいなもの。

 

でも、大人になってからは
一つのあだ名じゃなく
色んなあだ名を
色んな人からつけられる。
色んなコミュニティに
属してるからだろうか。

 

古い昔からの友達と会った時
僕はあだ名で呼んで話せるだろうか
あだ名で呼んでもらえるだろうか。

 

あだ名についての話を
もう少ししたい。