はだかだからからだ。

秋田に僕はいます。

スープの冷めない距離。

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最近、僕の家の近くに

新しい家が建った。

 

田舎では地域に新しい家や建物が建つと

誰が住むのか、何が建つのかで

予想が始まる。

 

その家が建設途中の時、母親に

誰の家か何気無く聞いたら

隣の地区の方の

息子さんだか娘さんが帰ってきて

夫婦でそこに住むのだそうだ。

田舎の情報伝達の速さはすごい。

 

その時、もう一言

母親がこう言いました。

 

「新しく建つ家は、実家に近いから

“スープの冷めない距離”だね。」

 

 

最初、言葉の意味がわかりませんでした。

 

聞くと、親世帯と子世帯の二世帯が

料理のスープが冷めない程度の

距離に住む時に使うそうです。

 

この言葉の持ってる雰囲気がいいなと思い

自分はこんな意味をつけてみました。

 

何か思いついた時、感動した時

美味しいものを食べた時。

それを誰かに伝えたい、話したい。

その時、心に湧き上がった思い、熱。

それをスープに例える。

 

そのスープが冷める前に

届けられる距離に誰がいるか。

一緒にそのスープを食べてくれる人が

いるのかどうか。

 

一人で食べるよりみんなで食べた方が

料理は美味しいし、評価もわかる。

 

気持ちだって、一人で悶々として

心が冷めるより、みんなと会って

温まる方がいい。

 

 

 

そんな距離感は都会とか田舎とか

そんなの関係なく大事だ。

 

熱いスープを手に持ったまま

誰とも食べれないと

火傷をしちゃう。

 

持たないで置いておくだけだったら

一人で冷たくなってしまう。

 

味見もしないで

見た目やその人を見て

食べたくないとか美味しくなさそうとか

そんな事を言う人達もいる。

 

口に合わなかったら

二人が美味しいと思えるよう

一緒に調理をすればいい。

 

熱すぎたら、我慢せず冷まして食べてもいい。

その人ごとの適温もある。

その人たちに無理に食べさせるのは

おかしい。

 

 

食べたら、ごちそうさまと言おう。

食べてくれたら、ありがとうと言おう。

 

 

一緒に食べてくれる人を

大切に思おう。

 

 

お腹が空いたら一緒に食べよう。

また、食べよう。

 スープの冷めないうちに。