はだかだからからだ。

秋田に僕はいます。

双頭の竜〜two headed dragon〜

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 この前、かれこれ5年半の付き合いになる

高校からの友が秋田から神奈川に行った。

 

神奈川にはかれこれ14年半の付き合いになる

小学校からの友が先におり、その友と

一緒に暮らすらしい。

 

僕ら3人は高校の同級生で友だった。

 

高校卒業のタイミングでは無く

今、社会人として働いて

3年目のタイミングで

神奈川というかそっちの方へ行くのは

なんだか、友らしいなと思った。

 

一応、そっちにある会社の試験を

受けたらしいが、合否の通知がこないまま

友は行った。

 

というか、最初に受けようとしていた

会社を受けていたのでは無く

その会社の下請けのような会社を

受けていたことに気づいたのが

一次試験を終えてからのことだったらしく

ただ、なぜかそれでも一次試験には

受かったらしい。

とても、友らしい。

 

友が行ってから一週間が過ぎようとしているが

未だに結果については教えられていない。

 

落ちたら、先にいる友が働いている場所で

アルバイトをするらしい。

とても友らしいし、友たちらしい。

 

 

 

友との出会いはよく覚えている。

 

高校で3年間一緒のクラスだった。

最初のクラスで最初の出会いの時

今でも友自身がよくいうが

入学早々、ライトノベルの本を

ひたすら読んでいた。

 

自分もライトノベルは兄弟のものを

読んでいたりしたので、共通の話題で

話すことはできたが、話したのは

結構、あとだったような気がする。

 

なんだか1年の時はよくわからない人だった。

あまり仲良くはなかった。

 

2年、3年と14年半の友と5年半の友と僕が

一緒のクラスになった。

 

14年半の友と5年半の友は

とても相性が良く

後々共通の趣味を持つようになり

今では2人でよく盛り上がって

一緒にお金を湯水のように使っている。

 

2人はいわゆるボケとツッコミで

よく、僕らを笑わせてくれた。

 

まぁ、この時が最高に面白かった!

というよりかは

日常的によく笑っていた

の方が自分には思い出としてある。

 

あの時のあれ!も、もちろんあるが

些細なことの方が覚えていたりもして

ふと、思い出すこともあり

それを振り返るように友たちに話すと

誰も覚えていないことがある。

 

人にはそれぞれの引っかかるところがあるので

全部が全部、というわけではないのでしょうが

そんな記憶を僕だけでも持っているのは

きっと後で大切なものになると今は、思う。

 

それが友との何気ない会話で

記憶が蘇ったりする時。

 

高校時代ずっとカメラでみんなを撮っていた

自分の写真フォルダをみんなで見返した時。

 

大切な人が亡くなった時。

それは大げさかもしれませんが

 

そんな時

自分が引っかかっていた

記憶を話すのはとても大切で

その些細な話が、たまに面白くなったり

急に二転三転したりするのが

妙に楽しかったりする。 

 

誰も覚えていなくてショック、、、ではなく

そんなことあったっけ?

くらいが丁度良く、面白いことに

最近、気づきました。

 

そんなことあったっけ?の顔も

あった!あった!の顔も

どちらも好きです。

 

 

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最近は3人でよくつるんでいたけど

これからは2人になるのかな

そんな2人で友を見送りに行った。

 

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早く相方のところに行きたいのか

お別れも惜しまないで

足早に僕らの前から去って行きました。

出発までまだ時間はあったのに

早くに乗ってしまいました。

感動の別れのはずがあっけなかったです。

 

撮る写真、撮る写真、全てブレブレ。

撮る時もずっと動いていました。

止まったら、死んじゃうのかな。

それも友らしいけど。

 

夜行バスに乗った後に

14年半の友の両親がお別れに

駆けつけたのですが

乗ってしまって、会えずじまい。

窓から、携帯のライトで手を振るだけでした。

 

5年半の友の母親はずっと車に乗って

バスが出発した時に少し見送りを

しただけでした。

1人息子がついに家を出る日がきて

祖父母も家族みんなで悲しんだそうです。

バスが行った後に少し話をしてくれました。

 

神奈川に行くことが決まって

この1ヶ月体調を崩したりしたそうで

でも、そういった事って

子供は知らなかったりする。

 

14年半の友の親も

たまに話をしてくれます。

たまに帰ってきたりする時

料理を作ったり、布団を敷いたりして

寝床の準備もしているのに

帰ってきている間に寝たのは

一回くらいで他は友達の家に泊まったりで

だから、食事も家で食べたのは1、2回。

晩御飯も晩酌も1回もしなかった。

この前、成人式で帰ってきた時

本当は一緒にお酒を飲みたかったんだろう。

 

自分の母親の友人も

自分に話してくれたことがある。

自分の娘と一緒に秋田に帰ってくる時

娘さんの勘違いだったかで

帰る日程がずれてしまって娘さんと一緒に

泊まるはずだったホテルや新幹線のチケットを

急遽、変更したりして先に着いた自分だけ

1人泊まるわけにいかず、僕の家に泊まりにきて

この話をしてくれた。

 

もう、働いている娘さんと一緒に過ごす事が

以前程ない今、こういった時間が親としては

とても大切なのにそれを子供たちは

知らないもので、一緒に帰るために

チケットの手配やホテルの予約から

色々と準備をしたのに、勘違いで

娘にとっては1日かもしれないけど

親にとってはとても大切な1日が

無くなるのはとても寂しい事と

話してくれた。

 

娘との何気ないLINEの会話でも

たった一言、大丈夫やスタンプや

何か返ってくるだけで

それだけでいいのに

メッセージを送って

何時間も返信がないと

とても心配になるらしい。

 

たまに帰ってくる時や

仕事で出張した時に

お土産何がいい?と娘さんは

よく聞いてくれるらしいのだが

それよりも健康であるかや

大丈夫だとか、そういった事が

親は心配でそんなのはいいから

元気でやってるかを聞かせてくれるだけで

十分だからと

母親の友人はお酒を飲みながら話してくれた。

 

 

 

結局、親子って分かり合えたり

合えなかったりするのかな

それが親子なのかな。

 

これからも色々と話を重ねて

大切なものにしていきたい。

 

 

友にご健勝とご多幸をお祈りして。