はだかだからからだ。

秋田に僕はいます。

ひとりごとを聴く。

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雨が降るなか

大きな杉を見に行った。

 

 

最初、大きな杉を見た時、身震いがした。

 

その後、隅っこにあった

ある看板の文が目に止まった。

 

そこにはこんな事が書かれていた。

 

 

 大杉のひとりごと

 

わたしも歳をとり、千歳

か千二百歳か自分の歳を

忘れました。

大きいな太いな、とみん

なで近寄ってきて、根元         

がかたまって、おいしい

水もたくさんの栄養もと

れなくなってきました。

まだまだ長生きできます

ので、みなさんどうか少

し離れたところから見上

げてください。

 

 

 

このひとりごとを

僕は注目されている人の

ひとりごとのように聞こえた。

 

 

注目されている人に

人は群がる。

 

それは問題を起こした人。

イジメられている人。

 批判されている人。

 

群がることにより

注目されている人が

生き延びるための

水や栄養となるものが

囲まれることによって

隙間がなくなり

その人に伝わりにくくなる。

 

囲むだけでなく

見えないところや

遠く離れたところから

言葉や心をその人たちは

ぶつけてくる事もある。

 

そこに明確な境目は

ないのだと思う。

 

そして意識的にも無意識的にも

知らず知らずに僕らはやっている。

 

この木の周りには

簡単に超えれそうな柵があった。

 

だけどそんな柵は意味を持たない。

形だけなのだ。

 

今の人はSNSやネット、メディア

様々な媒体で注目されている人の

柵の中に土足で入りこみ

周りを囲み水や栄養を断ち

時が過ぎれば何事もなかったかのように

その場を去る。

 

去った後のその場所は

もう水分も栄養も

吸収することのできない

凝り固まった心だけが存在する。

 

それは悲しいことだ。

 

ましてやその人たちの

心の声を聞くことは

とても難しい。

 

本当にひとりごとでしか

言えないからなのかもしれない。

 

木のように代弁者が

必要なのかもしれない。

 

そっとしておいて

欲しいのかもしれない

 

聞く。

 

ひとりごとを聞くには

そばにいなければ

聞けないのだと思う。

 

 

 

 

兄は

みんなで近寄ってきての文の後に

嬉しいのだけどって言葉を

入れて欲しいと言っていた。

 

兄のその一文を入れることで

この文の雰囲気が変わった。

 

好奇心で近づいてくれるのは

人も、もしかしたら木も

嬉しいのかもしれない。

 

代弁者が本当に

その人の事を

この木の事を

思って言葉を

吐き出さなければ

小さくとても大事な事を

伝えきれないで

代弁してしまい

代弁者の言葉に

なってしまう。

 

それも悲しい事だ。

 

 

 

 

僕はこの文を

自分なりに解釈をして

 

兄はこの文自体の

雰囲気を変えた。

 

 

みんなが違う意見を持ち

それを交わす事で発見があり

気づきを得る。

 

 

ありがとう。

 

聞くことから始め

一言を大切に伝える。