はだかだからからだ。

秋田に僕はいます。

息を吸ってゴミを吐いて。

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この前、山形から車で

秋田に戻ってくるとき

自分の頭のフィルターに

引っかかっていた

最近記憶に残ったことや

モヤモヤとしていた事が

車の速度が上がるにつれて

後ろへ流されながら

整理されて行くような

感じがした。

 


たまに抱くこの感覚の時

ただ目の前の景色に

集中している気がする。

ハンドルを握っているから

スマホは手に持っていない。

この5年で車の総走行距離は

16万kmを越した。

 


よく、温泉に行く。

理由は自分でもよくわからない。

温泉の中にはスマホを持って行かない。

当たり前だけど

スマホを持っていない時って

当たり前のように存在しない気がする。

文字通り何も持たず裸になれる場所へ

行きたいのは、変な事だろうか。

 

 

 

「観察」をしていなかった。

 


ここ数年「アイデア」が

出て来なくなっていた。

 


その原因は「観察」を

していなかったからなのかもしれない。

 


代わりにスマホを見るようになった。

スクロールすれば景色は変わり

新しい情報が降ってくる。

 


目の前の世界の

見え方を変えるには

自分のレンズを

変えなければいけない。

ズームにするのか

単焦点で自分で動くのか

もしくは角度を変えてみるのか。

 


自分は単焦点

動きもせず

角度も変えず

長い時間

指一本を画面の前で

動かしているだけだった。

 


スマホを見ていない時間

スマホの中で

更新されているであろう情報が

頭をよぎっていく。

見ていない時間が

長ければ長いほど

遡る時間が長くなる。

過去に遡る事が

指一本で簡単にできる、

 


だけどスマホを見ている時

現実の情報の事は

あまり頭をよぎらない。

目を離した時、時計を見て

もうこんな時間かと思うだけ。

だけど現実も変化している。

 


この前「宇宙兄弟」を読んだ。

マンガは「現実」のような気がして

あまり、読もうとしていなかった。

だけど、久しぶりに読み始めて思ったのは

昔と今の感じ方が変化していたことだ。

昔はただおもしろいなあという

感情で読んでいたが

一巻一巻の話に

泣いている自分がいた。

 


現実の中から

日々の小さな変化を見つけるのは

少しむずかしい。

 


ただ、何年かぶりに

読んだマンガのように

昔の自分の視点が

残っているものを見つけたら

それを「観察」してみる

振り返ってみると

日々積み重なってきた

小さな自分の変化が

あったことに気づく。

 


目の前のことに集中して

観察してきて見えたものを

もっと見えるようにする。

 


見えたで終わりではなく

自分以外でも見えるようにする。

そういったことを

僕を受け止めてくれた人と

追求していった事を

思い出した。

 

 

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この前、スイカ畑にいた。

畑の中を歩くスピードは

とてもゆっくりだ。

そうすると

見えてくるものがあった。

 

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バッタだった。

 


昔はよく見たのに

最近はあまり見なくなったなーと

よく思っていたが、その時

自分がバッタがいる所から

遠ざかっていったのではないかと

考えた。

 


畑の中にいる時

頭の中は目の前の作業に

集中していた。

 


頭の中をたとえばSNSの情報が

よぎる事なんてなかったような

気がする。

 


畑の中を歩いている時

自分はとてもゆっくり歩く。

子供の頃から変わらない。

 


走ると疲れるのは

子供も大人も一緒。

 


子供の頃はどこにバッタがいるか

見た事ない虫がいるか

バタバタと歩くと逃げてしまうから

慎重にそして目を光らせて。

 


今はスイカのトスコマットを

回収するため見落としてないか

目を光らせて

目印棒を抜き忘れてないか

目を光らせて

土に負担をかけないよう

優しく慎重に歩く。

 

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そうすると不思議に子供の

視線と同じになってきて

子供と同じような

歩行速度になっている気がする。

 


そうして初めて

バッタを見つけれるようになり

見たことのない虫に出会える

ような気がする。

 


小さい頃見えていたものが

見えなくなるのは

視線が変わり

歩行速度が変わり

頭の中を何かが

よぎっていって

しまうようになるから

目の前にあるはずなのに

目の前の事が見えなくなる。

目が頭と手元を向いてしまう。

 


子供が立ち止まっていたら

そこには何かがあるのかもしれない。

それに気づかずぶつかってしまう。

正面から。

 


頭の中にある

モヤモヤした何か

よぎってしまう何かを

車や温泉

畑の中を歩く事で

掃除できている気がする。

 


誰かは

泳ぐことなのかもしれないし

絵を描く事なのかもしれないし

本を読むことなのかもしれないし

料理をすることなのかもしれないし

走ることなのかもしれない。

 


気持ちよく掃除ができるものに

出会えることは

素敵な事なのかもしれない。

 


色んなゴミがある。

それを

色んな掃除道具で

色んな掃除の方法で

すっきりするのが

共通している事

なんじゃないかなと

思う。

 

 

 

こうやって

色んな方向に手を伸ばし

あっちへこっちへ飛びながら

頭の中のモヤモヤやよぎった事を

言葉にするのも

その掃除のうちの1つ。

 


だからこの文章は

僕の整理されたゴミであり

分別されたゴミだ。

ゴミの文章である。