はだかだからからだ。

秋田に僕はいます。

私の歌を聴け!。

 

 よくスナックやカラオケに行く。
自分から率先して行ったことはなく
知り合いや友達に
連れられていくことが
ほとんどだ。

 

その二つともに共通しているのは
カラオケを歌うという事だ。

 

僕は歌を歌うのが
嫌いなわけではない。
たまに口ずさんだりしている。
時がある。

 

ただ
それは一人でいる時がほとんどで
誰かの前で歌うことには
苦手意識がある。

 

自分はいわゆる音痴で
カラオケの採点なんかをすると
基本が60点台。
たまに90点台を取るような人と
一緒に歌うと80点台になったり
する時がある。
つまり僕は90点の人と歌うと
20点点数が上がり
相手は10点点数が下がる。
そうやってたまに
心の平均を保ったりする。

 

歌の上手い人たちに
どうすれば歌が上手くなるのかと
何度も聞いてきた。
「何回も何回も同じ曲をきくよ」
「最初は鼻歌で合わせればいいよ」
色んなアドバイスをもらうが
結局うまくはならない。
それはやっぱり自分が
練習をしていないからだ。

 

たまに行くスナックやカラオケで
たまに歌ってはダメだなと思い
これはどうかなと
しっかり聞いたこともない曲を
歌ったりしてみて
ダメだなと思い
それが何回も何年も続くと
歌や歌を歌う環境が
自分を少しづつ蝕んでいた事に
気づく。

 

練習もせずに
すぐ本番がきてしまうのが
カラオケだ。
よくみんな日頃から
練習しているなと思う。
別にうまく歌わなくても
いいのだけど
何年もこんな感じの心が
それこそ幼少の頃から
蓄積されていると
もうよくわからない。

 

だから自分がよく聞く音楽は
人の声がないインストゥルメンタル
自然音やクラシックみたいなのを
聞いたりしていた。
最近は人の声も聞いている。
一応練習まがいなことをしている。
ふりをしている。

 

本当に上手くなりたい!
と思えばやはり小さな事から
練習をしてやったりするのだろうが
そもそもその気持ちにすら
ならない。
それは蓄積した何かなのだろうか。

 

去年の夏
似たようなことが起こった。

 

僕は本を読むのが好きで
何冊か同時並行で読む。
ただ、本を読まない日があると
夜寝る前に後悔をする。
今日は1ページも読めなかったと。
そんな日がたまにではなく
続いていた時がある。


そんな時、試しにその日の朝
「今日は本を読まない」
そう宣言した1日があった。
その日は
他の読めなくて後悔していた日と同様に
本当に読まずに1日を終えた。
ただ、他の後悔していた日と
違うことがあった。
夜眠る時に
後悔をしなかったのだ。

 

その時気づいたのは
僕が今までしていた後悔は
ただ、本を読まなかった
出来事の後悔ではなく
本を読まなかった
その日1日分を後悔していたのだ。

 

石田ゆり子さんのLilyという
本を読み終わって
「今日は本を読まない」
という宣言をしてから
その後「今日も本を読まない」と
言って本を読まずに
1ヶ月以上生活した。
何年かぶりの事だった
なんだかすごく楽だった。

 

昨日、23歳になった。


その日の夜
いつも優しく声をかけて
自分を気にかけてくれる先輩に
温泉で鏡越しにあった。

 

その先輩が
「やる事を決める事は大事だけど
やらない事を決めるのは
もっと大事だと思う。」
そう洗い場とサウナの中で
話してくれた。

 

本を読むのは
誰かに強制されたものではないから
自分の意思でやらないと
決める事ができたから
楽になったのかもしれない。

 

カラオケはその行為が起こる前に
友達と遊ぶや仕事でとか
色んな人との関わり合いが
絡んでくる。誰といるかによっても
自分の心の蝕み方は違う。

 

歌を歌わない。という
選択もいいのかもしれないけど
歌を歌っても後悔しないとか
そういう選択もありなんだろうなと
自分の中で今思う。

 

後悔しないという選択。
後悔をするとその時だけでなく
過去から今にかけてを
後悔してしまったりする。
歌の練習をしてこなかった後悔
今日ここにこなければよかった
という後悔。
でもそういう後悔をしないと
最初に自分に宣言をしておけば
大丈夫になるだろうか。
少しずつ自分のやらないを
見つけていこう。

 

つぎカラオケに行った時
ちょっとやってみよう
でも歌の練習はしよう。
歌を歌うことは
嫌いではないから。

 

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