はだかだからからだ。

秋田に僕はいます。

有意味と無意味。

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 最近、あたたかい言葉を求めている。

気温は涼しい方がいいけど

とりわけ言葉は、年がら年中

あたたかいのが好きだ。

 

僕の中でのあたたかい言葉は

深夜ラジオだったり、エッセイだったり

手書きの手紙だったりする。

 

最近は音楽からもあたたかさを感じる事が

出来るようになった。

SNSやメールであたたかさを感じることは少ない。

 

何だろう。

相手がいるという事を思って

話す言葉や、書く文章に

あたたかさを感じるのかな。

 

以前までは音楽をほとんど聞いた事が

なかったけど、車の中で音楽を

以前より自由に聞けるようになってから

音楽が好きになってきた。

そして音楽からあたたかさを

感じる事が出来るように

なったからでもある。

 

 

最近、「無意味のススメ」という本を読んだ。

 

本屋さんでたまたま目についたこの本を

僕は買っていました。

本の表紙には意味に疲れたら無意味で休もうと

書いていました。

その本の作者のことを僕は知らなく

その本の紹介のPOPも

他薦の帯もありませんでした。

 

その本を僕は無意味に選んでいました。

意味無く本を選ぶのは高校生以来だなと

思いました。

 

ここ最近の僕は意味のあるものにしか

目がいっていませんでした。

 

有名な誰かがオススメしていた本を

買ったり。

 

今、人気の有名人をSNS

フォローしたり。

 

音楽は生の情報が入ってこないからと

それならラジオの方が情報を流すから

車の中ではラジオを聞いたり

 

とにかく自分の尺度というよりか

自分が意味のあると思う人の尺度で

意味があるのか無いのかを決めて

ほぼ囚われながら意味のあることを

行っていた気がする。

 

無意味だと分かっていても

それを意味のあることのように

わざと自分を騙したり

そんな状態で生活していた気がする。

 

この無意味のススメを読んで思ったのは

無意味は無意味じゃ無いということです。

 

いつから僕は意味を求め始めたのだろうと

思いました。

僕のしていた事や考えていた事は

僕の意味でした。

いつから他人のための

意味になっていたのだろうと。

 

他人は他人の無意味を見つけると

自分にとっての意味にしたがる。

その意味は結局、他人の意味であり

大勢の意味。

 

でも、無意味はその人だけの

とても大切な意味だと思います。

 

それを、ただ無意味だからという言葉や

言動で、無理やり変えてしまったり

蝕んでしまったら、辛い辛い。

 

 

僕はしっかりと

自分の中の無意味の先に

意味を見つけていたのだと思いましたし

これからも見つけていこうと思います。

 

無意味なこともするし

意味のあることもする。

 

バランスが大事だったということに

この本を読むまで気づく事が

できていませんでした。

 

僕は意味だけに偏っていました。

 

 

昔から大声を出すのが

苦手でした。

そして滑舌が悪いのと

声が小さいのとで

人と話すのが苦手でした。

会話をするのは好きです。

 

ここ最近、意識的に

大声を出そうとしても

腹の底から声が出ない感じがします。

 

エネルギー源みたいなのが

無いような感じがします。

 

でも、深夜ラジオで芸人さんの

ラジオを聞いたり、星野源さんの

本を読んだり、お笑いの動画を

見ていると大声で笑う事ができます。

 

社会人になってから

ラジオを知ったし本を知った。

最初は意味も無く聞いたり読んでいたのが

今の僕には大きな意味になっています。

 

人と会話するのが好きになったのも

本を読むようになってからだったと思います。

 

 

たまに、意味に殺されそうになるというか

襲われそうになる感じがしますが

その時は意味に耳を傾けようと思います。

 

バランスを取るのは最初は難しいと思うけど

少しずつ練習していきたいです。