はだかだからからだ。

秋田に僕はいます。

トンボエフェクト。

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 こんなにも、夏はムシムシしていたかなと

いろんな人と最近はよく話す。

 

ただ、夜のスーパーから駐車場に

出た後のムシムシだけは

いつもの夏のように感じる。

 

 

この前、職場にトンボが入ってきた。

羽の黒いハグロトンボ。

 

たまに入っては来るのだけど

僕はいつも「トンボだ」としか思っていない。

 

その時、職場の同期が悲鳴をあげた。

 

振り返ると、同期のすぐそばにトンボがいた。

 

どうしたのかと聞くと

トンボが怖いという。

 

ただ、虫にびっくりしただけではなく

怖いというのには驚いた。

 

理由を聞くと

「小さい頃は触れたんだけど

ある時、羽を持って掴んでいたら

トンボに噛まれて、それから怖くなった。」

 

そんなことを言った。

 

トンボが噛むのは知っていたけど

噛まれたから怖くなったのには

やはりびっくりした。

 

でも、こんなことも思った。

 

その時のトンボが噛んだことによって

今、職場に来たトンボは

1人の人間から、掴まれることもされず

さらには怖がられている事になっていると。

 

噛んだトンボの行動

これは大事な事だ。

 

このトンボの行動は

小さな小さな行動だったのかもしれない。

自分よりも大きな大きな相手に対して

その時トンボは行動をしたのだ。

 

その時の相手は

自分を倒そうとしたわけではなく

興味本位で羽を持ったのだろう。

この興味本位が重要でもある。

 

興味本位で掴むことは

大きな大きな相手にとっては

とても小さな小さな事だったろう。

 

ただ、トンボの小さな行動は

大きな大きな意味になったのだ。

 

その行動のおかげで

一体、何匹のトンボを

この噛む事によって恐怖を与えた人間から

守って来たのだろう。

 

自分が出会うことのない

何年も先の子孫。

違う種類のトンボ。

もしかしたら種類の違う昆虫まで。

 

噛んだ時のトンボは

未来のことなんて

意識はしていなかっただろう。

その時考えていたのは

自分が生きる事について

その一つのみだろう。

 

でも、もしかしたら噛んだ事によって

すぐに反逆されて倒されたかもしれない。

そして未来永劫、すべてのトンボが

倒されたかもしれない。

 

それを考えたら、何も行動ができなくなる。

 

だから、最初は自分が生きる事だけを

考えた方がいいのかもしれない。

 

あのトンボが生きるためにした行動が

今を生きるトンボが少しだけ

生きやすい世界になっている。

 

僕らの周りにも

興味本位で羽を持つような人がいる。

 

本気で倒そうとする人は

一目で分かったりするけど

羽を持つような人に

僕らは羽を持たれているんだって事に

気づかないでいたりする。

 

でも、少しでも「生きる」が

脅かされたら小さくても「行動」を

した方がいいんだろう。

 

そして昔、トンボのような人が

噛んでくれた効力が

切れてしまうかもしれない。

 

僕らが知らず知らずに恩恵をいただいていた

ものが、急になくなってしまうかもしれない。

 

だから、僕らは

トンボのように見極める複眼と

小さな勇気ある「行動」を

していかなければいけないんじゃないかな。

 

僕はトンボに噛まれたことはない。

でも、僕の祖先はトンボに噛まれた事が

あるかもしれない。 

 

 

夏の小さな出来事。

大きな発見。