はだかだからからだ。

秋田に僕はいます。

社会からの脱皮。

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 自分の働いている会社の中には
よく虫が入ってくる。

例えばトンボだったり
ガや羽が付いた虫たち。

その虫たちは
入ってきたはいいが
透明な窓に当たって
出て行けない虫がほとんどだ。

その虫たちが
出て行こうとする時の羽の音で
そこにいたという事に
初めて僕らは気づく。

そこで僕らの多くが起こす行動は
無視をするか
ホウキなどの掃除道具類で叩くか
怯えるかだ。

ほとんどが
その虫を外へ逃がす手伝いをしない。

出ていこうとして
壁に激突するたびに
笑うだけ。

そして、いつの間にか

虫の音は聞こえなくなり

そこにいたことも

この中で亡くなっているということも忘れる。

にげる人や、のがれようとする人の

必死な行動に対して

似たような行動を起こしている気がする。

 

のがれたくて、外に向かって走ろうとすると、透明な壁のようなものに阻まれ

前に進めない人に対して

手助けをするわけではなく、見てみぬふり。

 

逃げようとする人を

叩きやすいモノで、叩こうとする人。

それも突然と。

 

必死さに、ただ怯え、拒絶する人。
そして叩くことに、賛成をする。

 

だれもあの透明な窓を
開けようとも、割ろうとも
外へ導こうともしない。

 

虫が外にいる時は

あそこまで必死な羽ばたきを

していないように思える。

 

もしかしたら

この透明な窓に閉ざされた社会から
出ていこうとしない
ぼくらがおかしいのかもしれない。

 

 

 

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羽後町の町報に載っている
町の図書館の館長さんが紹介されていた、絵本が気になっていた。
それをさっき購入してきて、読んだ後に、最近、自分の会社に入ってきたオニヤンマを思い出していた。

その後、ショーン・タンさんが書いた、セミについての文章をネットで読んでる途中、自分が考えていた事と繋がった事があったので、書いた。

 

https://web.kawade.co.jp/special/cicada/